苦労人の母
物心ついたときには、母と兄と3人で暮らしていた。
木造2階だての、古くて狭いアパートに住んでいた。
母はいつも忙しい人で、クリーニング屋さんと夜のコンビニを掛け持ちして私たちを養ってくれていた。
朝は私たちが起きる頃には家を出ていたし、
夜も私たちが寝た後に帰ってくることが多かった。
今思えば、家族団らんというものを知らずに育った寂しい兄弟だったと思う。
だけど、たくさんの時間こそ共有できなかったものの、母は私達を愛情いっぱいに育ててくれた。
夕飯は必ず作り置きしてくれてはいたが、当時は育ち盛りの小学生、夕飯では足りずにひもじい思いをすることもあった。
そんな時は、兄が小麦粉に砂糖と牛乳を混ぜて焼いたパンケーキもどきを良く作ってくれていた。
とっても甘くて私の大好物だった。
母に甘えることができない分、私は兄にべったりで、よく大好きなパンケーキをおねだりしていた。
私が中学生のとき、母が過労で倒れた。
授業中に担任から呼び出されそのことを聞かされた私は、そのまま担任の車で病院に駆けつけた。
兄は既に病院についていて、「大丈夫だよ。お母さん今薬で眠ってる」と、涙目で教えてくれた。
母は1日だけ入院し、翌日には自宅へ戻ってきた。
そして、いつもと変わらず仕事にでかけていた。
後から聞いた話では、病院の先生の反対を押し切って、早々に無理やり退院したそうだ。
私達を心配させないためにかなり無理してくれていたと思う。
子供の頃はあまりよくわかっていなかったが、今思うと、母は相当な苦労人だ。
母がお化粧やおしゃれをしていた所は一度も見たことないかもしれない。
自分の事なんて二の次三の次で私たちを一生懸命育ててくれた。
私は母を尊敬しているし、誇りに思おう。
そんな母ももう還暦を迎えた。
先月、母がめでたく再婚した。職場で出会ったバツ1の年下男性だ。
年下だけれど、とても頼りがいのある人で、
「これからはお母さんの事は僕が守りますから」といってくれた時は思わずその場で大泣きしてしまった。
ずっと苦労してきた母に、これからは穏やかで幸せな生活を送ってもらえるかと思うと、
私はその人には心からのありがたい気持ちでいっぱいになる。
本当にありがとう。